Vol.8 渾身の「1」-サルバドール・ダリ《テトゥアンの大会戦》移動展示の記録から-
サルバドール・ダリ《テトゥアンの大会戦》1962年 油彩・画布 304.0×396.0cm
諸橋近代美術館を訪れ、彫刻のある回廊を過ぎると、正面にサルバドール・ダリの超大作《テトゥアンの大会戦》が見えてくる。ゆっくりと近づき、少し遠くから、静かに、見てほしい。底光りして彩度の高い数字「1」が描かれているのが見えてくる。その周辺までがほんのり光っているような気さえする。
この大作は、その大きさゆえに、美術館に1999年に納められてから、一度も門外に出たことがなかった。約3m×4mというサイズは大き過ぎる。どう考えても搬出口より作品の方が大きい。額を入れるとさらに60cmは大きくなって、まともにトラックにも入らない。「ダリ展」(2016年)国立新美術館展示のために、当初、建物を改修して搬出口を大きくすることまでまじめに議論されたが、結局、キャンバスを巻いて搬出するという方法が採択された。暴挙ではないか?そう思う人もいるに違いない。
初めから結論はない。まず、調査してみること。これが私たちの仕事の流儀だ。
全体の構造をみると、キャンバスが張られている裏側の木枠が中央部で切断されていて、直径30cm程度の筒にキャンバスを挟み込むように内側に半分に折り返して美術館に運ばれてきたことが分かった。考えてみれば、これだけの大作がスペインで制作されてから、そのままの状態で世界を旅することができるはずもない。何度も張りなおされた痕跡も発見され、移動のたびに傷みが生じ、修復されていることも確認された。
だからと言って、今度も少しぐらいダメージを与えてもよかろう、というわけには無論いかない。絵の具層を詳細に調査していくと、中央付近には剥がれ落ちそうな箇所もあり、絵の具に盛り上がりのある部分もあった。平滑な描き方をするダリにしてはめずらしく。
そして、そこには深遠で解き切れない謎に誘い込むための仕掛けがあり、ダリが1962年まで蓄えてきた技術の集積が見えてきた。画面の下方の右下人物の服の襞は、布に絵の具を染み込ませ、それをキャンバスに押し当てて作った偶然の模様に手を加えて描かれている。偶然の力を借りて現実を超える別次元のリアルさが表現されている。
さらに、その上部に躍動に満ちた馬を、砂塵をまき散らしながらこちらに迫ってくるかのようにリアルに描きながらも、騎乗する人物とのバランスをあえて崩し、謎めいた数字を配置して、現実が観念と時間を超えて旅をするかのような演出をしている。そして、抽象画として成立するような黒い筆の動きを唐突に挿入してある部分も不思議な感覚を醸し出す。
右上方部には、本作の源泉となったマリアノ・フォルトニィ-の《テトゥアンの大会戦》が引用されているが、その下部には騎馬群像が、白い絵の具を溶かずに盛り上げて抽象化されて表現されている。
つまり、ダリは、鑑賞者には大作の上方は見えにくいことをよく考えて、それぞれの場所で技法にアクセントを与えているのである。白い地塗りの上には格子状に線が見つかり、精緻な構想があって組み立てられた構図であることも判明した。
謎めいた数字が配置されているなかでも、「1」には特別な位置を与えたかったのだろうか。思いっきり絵の具が盛り上げられてある。絵の具の厚みは発色を良くし、力強さを与え、実際にその盛り上げによってできる影とダリが描いた虚構の影が不思議にシンクロする。実に興味深い表現ではあるが、巻いて輸送するには、厄介である。この箇所の上にキャンバスが重なると、ちょっとした弾みで壊れてしまう可能性がある。
どうしたらいいのか。
意外と単純な解決策が見つかった。そう、重ねなければいいのだ。直径80cmの筒を作れば、140cmほどは重なるが、完全に二周りするわけではなく、「1」の上にはキャンバスは重ならない。私たちは、慎重な調査と何度かの輸送で脆くなっていた部分の修復を終えて、「行ける」と確信した。
展覧会で称賛を集めた《テトゥアンの大会戦》は無事にもとの居場所に戻り、今回の処置で過去の輸送の傷みや波うちの問題が解消され、表面の汚れも取り払われ、むしろすっきりした表情で開館を待っている。
静かに集中できる時間を作って、ダリが1962年に仕掛けた罠に挑戦してほしい。
ダリ渾身の「1」を見てほしい。
舞台は整っている。
諸橋近代美術館 機関誌「DALImo」(2017)所収