Column修復家の眼差し

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Vol.3 「聖コルネイユ」を見る

 

『聖コルネイユ』像の頭部 修復中の状態 (c)KIK.IRPA.)

美術館でわれわれが見ているのはほとんどが修復後の作品だ、ということを前回まで述べてきた。では、その「修復」とは何なのか。

ここに一枚の彩色のある彫刻の修復中の写真がある。どの部分が修復後なのか、おわかりいただけるだろうか。顔の左側のグレーの部分は何世紀にもわたって修復が加えられた状態で、右側は古い修復を取り除いて皮膚の色を取り戻した1980年代の処置後の状態である。右半分のオリジナルの状態に戻すため実体顕微鏡を覗きながらメスで除去する作業が延々と続く。この彫刻に限らず、今日の修復家は過去の修復との戦いに明け暮れることが少なくない。

昨秋、久しぶりにベルギーの古都ブルージュを訪れ、かつての輝きを取り戻したこの「聖コルネイユ」と再会することができた。12世紀からある聖ヨハネ施療院は現在その一部がメムリンク美術館として公開されていて、その一角に上方から人々を見守るように鎮座していた。他のメムリンクの作品などとは明らかに違うコンセプトの展示が、この像の微妙な立場を感じさせる。
14世紀、医学がまだ科学の領域に属していなかった時代に、この聖人像は病に冒された人々に慰めと希望を与える存在として作られた。他にも歯を治してくれる聖人像や目を治してくれる聖人像が作られ、いわば聖なる医師としての信仰されていたのである。美術史家アロイス・リーグルらの評価でこうした彩色彫刻が美的対象としても認識され始め、その修復のための研究が始まったのは1950年代以降のことである。

『聖コルネイユ』(14世紀 オーク材に彩色 高さ166.5cm メムリンク美術館所蔵))

「聖コルネイユ」には、彩色層の分析の結果、数世紀にわたって10層の絵具が塗り重ねられていることがわかった。それぞれの時代の趣味で彩色が施されたのは祈りの対象として生き続けてきたことを物語っている。写真の顔の左部分がグレーに見えるのは、19世紀新古典主義趣味のモノクロームが上3層に塗られていたためである。

戦前までの修復と大きく異なる今日の「修復」の重要な原則は、将来の再修復に配慮し、加える処置については最低限に留め、しかも後で容易に取り除けるようにしておくということにある。だが、現在あるものを除去することについては、どう正当化するのか。最初の彩色がオリジナルとして尊重されるべきなのか。オリジナルの層が損なわれているときにはどうすべきなのか。実はこのケースでも、顔を除いてオリジナルの層は80パーセントまで失われていたのだ。
修復とは何か、その答えは容易に出ない。対象によって変わり、時代とともに変わり続ける。ただ確かなことは、われわれが見ることができる14世紀の「聖コルネイユ」は、複雑な手続きを経て得られた今日の修復のひとつの到達点にすぎない、ということだ。

実体顕微鏡を覗きながら進められる旧加彩の除去作業