Column修復家の眼差し

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Vol.4 もうひとりのヤン

ひんやりとしたゲントの聖バーブ教会の薄暗いベンチに腰掛けて、祭壇画のモノトーンの扉絵をしばらく眺めていた。その頃の私の心理状態に寄り添うように全てが色彩のない夢のようだった。静かに、「神秘の子羊」の扉が開いた時、夢から覚めたようにその色彩に覚醒して、意志のある眼差しを持ち始めたのかもしれない。その後、私は修復を学ぶことにして、ブリュッセルに8年半滞在した。

ところで、このあまりに偉大な傑作は、ヤン・ファン・エイクが仕上げたとされるが、下段左にある子羊を讃えるために中央の草原へと向かう人物たち描かれている「正義の判事」の一枚のパネルは、残念ながら彼の手によるものではない。1934年に盗難に会い、その後1939年に完成したレプリカである。実に良くできていて、祭壇画(現在はガラスケースに入れられている)に感嘆のため息をもらして通り過ぎる観光客は、ほとんどそのことに気づかない。
この模作の大仕事をまかされたのは、20世紀のもうひとりのヤン、修復家としても名高く数多くのフランドル絵画を修復したヤン・ファン・デル・ヴェーケンだった。彼の手がはいったことがわかっている作品のひとつがトゥルネーの美術館にある。ロヒール・ヴァン・デル・ウェイデン作と伝えられる「聖母子」(通称「レンダーのマドンナ」)である。長年ロヒールの傑作とされてきたこの作品について、画家の生誕600年を記念して生地のトゥルネーで開催された展覧会(1999-2000年)を契機に詳細な科学的調査が行われ、修復家ヤンの実に大胆な仕事ぶりが明らかになった。
写真の絵を見ると画面全体が亀裂と自然な古色で覆われ、何の破綻もないように見える。しかし、調査結果の図を見るとオリジナル部分(グレー)があまりにも少ないのに驚かされる。白はオリジナル層がない部分、つまり全て修復家が描いた部分で、赤は傷んだオリジナル層の上に加彩した箇所である。背景部に全くオリジナルの彩色が残されていないのは、傷んだ部分が多かったので修復家がきれいに削り取って全て描きなおしたためである。オリジナル部分の保存を前提にする今日の修復では考えられないことだが、修復についての倫理が確立していなかった戦前までは例外的な事例ではない。すべてが才能あふれる20世紀のヤンに託されていたわけである。
では、画面全体に広がる亀裂はどうしたのか。まず下層に比較的厚いベースを作り、その上に薄くて黒っぽい油分の多い層を重ね、上層に明るい色彩を塗って、異なる層間の乾燥の不具合から生じる亀裂を人工的に作ったのであろう。さらに、調査から、この黒い下層の色が隙間に覗けて見える亀裂にペンなどで細工を加えて上手につなぎ合わせていることが明らかになっている。
ここまでやられると、もはやこの「聖母子」はヤン・ファン・デル・ヴェーケン作と言った方がいいかもしれない。こうした修復を肯定するわけではないが、今後もっと調べてみたい人物ではある。