Column修復家の眼差し

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Vol.7 東京都庭園美術館 小客室アンリ・ラパン作壁画の修復

東京都庭園美術館は旧皇族朝香宮の邸宅として1933年に完成された建物で、1983年より美術館として公開されている。
邸の建設に際して、主要7室の装飾は朝香宮殿下の希望で、当時パリで活躍していた画家・装飾美術家アンリ・ラパンに委嘱された。7室の中で、画家としてのラパンの特質を最もよく物語るのが小客室だろう。壁面全体が淡い緑の色調の風景画で覆われ、庭に通じるドアの上部にH.RAPINと署名されている。制作年は記されていないが、委嘱された1929年以降1930-32年頃に描かれたと思われる。

この部屋は長らく公開されてこなかったが今回の修復を機に公開される。ラパンがデザインし国立セーブル製陶所で作らせた香水塔のある次室をご存知の方は多いだろう。小客室はその隣にある。

今回、私たちが主に修復したのは署名のある壁の向い側、玄関側に窓が切られている壁面である。もう二年以上前になるが、この壁面は、左上部付近からで今にも剥がれ落ちそうな状態で波打ちが進行していた。修復の目的は、この壁画を安全で波打ちの目立たない状態に戻すために貼り直すという明快なものだったが、どのように進めたらいいのか、なかなか明快な解決策を見出すことができなかった。ただ、ともかく壁から剥がさなければ先に進めない、といことだけは明らかだった。

絵画の修復は調査から始まり、調査が終了した時、終了までの見通しが立つ。というか、立てずに進めることは本来許されない。だが、今回は調査できるのは表面だけで裏側がわからないから終了までの見通しが立たず、段階ごとに計画を練り直しながら進めざるを得なかった。最終的にはほぼ成功したが、最後まで思い悩まされたハードな仕事だった。
壁画は麻布に描かれた油彩画で、非常に薄い白系色の地塗りの上に全面にシエーナ土(Terre de Sienne Naturelle)色の背景が塗られ、緑土(Terre vert)色の濃淡を繊細な筆捌きで変えながら森や家が描かれ、輝く水などにシルバーでアクセントを加えている。この三色だけの非常にシンプルな色面で構成され、絵具層は薄く凹凸もほとんどない。この画布が和紙で裏打ちされ、袋張りされ、板に貼られていることなどは当初からわかっていたが、剥ぎ取って見えたのは予想を超えて精妙な、考え抜かれた和の技術だった。

まず、コンクリートの壁に約10cmの角材が縦に通ってスペースを作り、その上に格子状の構造があり、内部に細い板が7-8枚縦横交互に釘で固定されていた。良質の杉材を用いた今日ではあまり見られなくなった実に丁寧な仕事である。その上に和紙がベタ貼りされ、蓑がけされ、柿渋紙で留められ、さらに袋貼りされ、再度ベタ貼り、柿渋紙があり、作品があった。さらに、作品裏面には白い白亜と思われる下地が厚く塗られていた。
われわれはこうした観察に細かい観察を加えて、それぞれの意味を読み取り、作品が貼られたプロセスを次のように推測した。まず、ラパンはフランスで壁面の図面をもとに画布に絵を描き、窓部は切断せず、巻いて日本に送った。それを貼ったのが日本の技師たちである。コンクリート壁面に水溶性の糊で直に貼ることは難しく、その後の保管にも支障がきたすと判断したのだろう。まず、板でコンクリートとの間に隙間を作り、和紙を貼ってその後の紙を貼るベースが作られた。次に作品を皺がなくふわりとした感じで貼れるように、蓑のように段をつけながら和紙を水平方向に上辺の一部にだけ糊をつけて貼り重ね、それを押さえるように防湿、防黴の効果があるとされる柿渋紙を貼った。さらに蓑がけの効果を補うため、袋貼り(四角い紙の周りにだけ糊を付ける貼り方)した。作品裏面に、水分で画布が動かないようにするため下地を塗り、柿渋紙・和紙で裏打ちした。こうして準備を整えた画布を袋貼りされた壁面に貼り、壁や窓に合わせて切断し、周りに飾り紐を取り付け、完成した。文献による裏付けはないが、このように考えると、観察から得られた情報と矛盾なく結びつく。

旧朝香宮邸は、ラパン始めアールデコの作家たちと、家族の居住スペースを担当した権藤要吉ら日本の技師との日仏のコラボラシオンによって生み出された建築とされるが、小客室壁画の裏側から読み取れたのも、ラパン絵画と日本の伝統技術とのもう一つのコラボラシオンであった。
修復した壁面は、高さは約3m64cm、横が約4m15cmで、中ほどに窓のスペースが開けられている一枚の画布である。裏面の下地が硬化していて丸めることもできず、当然切断することもできないから室外には出せない。そこで、作品と同寸法のテーブルを作り、表打ちで保護した作品を、画面を下にしてテーブルに置き、処置は常に小客室内で進められた。様々な制約の中で袋貼り、柿渋紙という日本の伝統的な手法を生かし、将来(遠い遠い将来であることを祈る)の修復の際に取り外すことが可能なようにしながら、無事貼り戻すことができた。

(本文は東京都庭園美術館ニュース?28に掲載の文章に一部加筆したものである。)